『午前0時の忘れもの』という赤川次郎さんの小説を読みました。
この本は、TSUTAYAに行った際に、店員さんのオススメ書籍!みたいなコーナーで見つけました。タイトルも『午前0時の忘れもの』と面白そうな感じがあったんですが、それ以上に表紙が幻想的でどんな物語なんだろう?と気になったので、買うことにしました。
これまであまり考えてこなかった大切な人との突然の別れについて考えさせられたいい小説でした。
『午前0時の忘れもの』あらすじ
愛していれば、奇跡もきっと起こる―バスの転落事故で湖の底に沈んでしまった死者たちが、愛する人たちに別れを告げるために、午前0時に戻って来た!深夜のバス・ターミナルでの、死者と生者の不思議な出会い。生きることの切なさ、命の輝き、そして人を愛することの素晴らしさを描ききった、赤川ファンタジーの傑作。(大林宣彦監督・映画『あした』原作)。
(引用 Amazon『午前0時の忘れもの (集英社文庫)』)
バス事故に遭った者たちから、残された者たちへ突然メッセージが届く。パソコンの画面、黒板、電光掲示板、ラジオなど人によってメッセージの伝わり方はそれぞれ。
彼らはそのメッセージに引き付けられるように、何かにすがるように、実々原バスターミナルへと足を運ぶ。
午前0時。バス事故で死んでしまった家族や恋人は、戻ってくるのか…?そしてその体験は、残された者たちにどんな影響を与えるのか…?
感想
コミカルで、でもどこか意味深な面白さがありました。
死者と生者をつなぐような物語は、そこかしこにありますが、多くの作品は仲介している人物がいて、その人を通してしか会えなかったり、その人を通してしか会話ができないケースが多いです。ただ、この『午前0時の忘れもの』に関しては、直接的に会える。そして、選択によっては一緒に死を選ぶこともできるという点が、非常に特異的な印象を受けました。
最初の感想の一言として、コミカルという表現を使ったのには理由があります。それは、死者と生者をただ繋げるだけの物語ではなく、そこに登場するヤクザの親分を殺そうとする子分たちが、しどろもどろするシーンだったり、親分を殺そうする人物の幼なじみが登場して、二人が恋に落ちたりというシーンがあるからです。「え!まさかの恋オチ?」みたいな印象はあるんですが、あのシーンがあるからこそ、どこか物語が深みをおびているとも思えます。
死者と生者を繋げる物語は、どうしても死者と生者を繋げることだけに執着してしまいがちですし、そこで話が完結してしまうのは当然のようにも感じます。ただ、それに留まらず、生者と生者を繋げた点は、やっぱりこの物語には必要な感じがします。
死者と生者がつながる様を見ることで、そこにかかわりのない者たちは、生きることの意味や、誰かを愛する意味、何かに打ち込む意味を知るんですよね。そして、それがそのものたちの背中を押す。
もちろん、死者と直接的につながりのある生者にしてもそれは同じです。バス事故という突然の別れは、意外とその人の死を受け止められないことが多いと思います。だからこそ、短時間ではあっても、時間をともにする、声を交わすことで、その人たちが本当に死んだことを受け入れられるようになるんだろうと思います。
病気や年齢で、衰弱していき死んでいくのとは違い、事故や殺害等のように突然誰かが死ぬことを、受け入れることの難しさと、でも、そこを乗り越えないといけない必要性を訴えられたように感じました。
そして、意味深と書いた点に関しては、生きていることと死んでいることの差はやはり大きいということを教えられたからです。
生きていれば誰でも、いつでもできると、未来はさも当然存在していると思っているはずですが、実はそれが当然ではないことを死んで初めて理解するんですよね。つまり、人はいつ死ぬかわからないということ。いつ死ぬのかわからないということは、未来は当然ではないということです。当然ではないからこそ、できるときにできることをしておく必要がある。でも、意外とそれって難しいんですよね(笑)
ただ、この小説を通して、明日できるかもしれないってことは、本当は今やらないといけないんだろうなーと思わされました。
大切な人との突然の別れだけは避けたいものです
この『午前0時の忘れもの』にも出てくるバス事故のような突然の死は、今を生きる人間なら誰しもが経験するかもしれないことですよね。もちろんバスではなくても、自分の車やタクシー、電車、飛行機など乗り物であれば、ありえることですし、テロや通り魔にあるかもしれない。
もし、そんな事態に巻き込まれたらと思うと、ゾッとします。
自分がその当事者になったときに、一番辛いのは誰だろう?と考えると、実は自分ではないことに気が付きますよね。というのも、死んでしまえば、辛いも何も感じないからです。もしかしたら、感じるかもしれませんが、死んだことがないのでわかりません。
おそらく、一番辛いのは、その人の周りにいる家族、恋人、友人たちでしょう。ただ、突然であるが故に、辛いという感情すらも感じないかもしれないです。身構えることができる病気や寿命での死とは違うために、唖然とするかもしれない。そして、月日が経つにつれて、その辛さや悲しみがその人を襲うんですよね…。
もちろん、人は誰しもいつかは死にます。ただ、やっぱり突然の死ほど、周りの人を悲しませることはないんだろうと思います。
世間を見ていると、歩きスマホや、スマホ片手にながら運転、イヤホンをしながら車や自転車を運転している人を多く見かけます。また、小さな子どもがいるにも関わらず、チャイルドシートやシートベルト使っていない大人もたくさんみかけます。
ぜひ、自分たちの命を粗末に扱わないで欲しい。そして、自分の行為が誰かに迷惑をかける可能性があることと肝に命じて欲しいです。
自分だけが死ぬなら、「残念だった…」で済むかもしれないが、それで他の誰かを死なせ、その人の家族や恋人を悲しませるのは心もとない。ぜひ、やめましょう。
あとがき
最後はなんか思いつきでぐだぐだと書いてしまいましたね…。悪いクセです。
ただ、突然の死がその周りの人に与える影響の大きさは、この小説を通して改めて考えさせられました。突然の死を乗り越えることの難しさと、それ以降の人生を生きるためにはその死を乗り越えないといけない必要性。辛いといっていても、一度死んだら生き返らないのが世の常。
「事実は小説よりも奇なり」とはいいますが、小説のような死者と会えることは現実には起こりません。現実には、小説よりもおかしなことが起きますが、その一線だけは超えられない。不思議な世の中です。
だからこそ、生きているときに、大切な人と大切な時間を過ごす必要があるんだろうと思います。